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地域という物語を生きる。Iターン2世のアイデンティティから見えた景色
八巻眞由
(一社)YOMOYAMA COMPANY 代表/「まどい」ママ
宮城 丸森
青年団からの始まり、地域に学びの場を作りたい
─── そうなんですね。そもそも、眞由さんがYOMOYAMA COMPANYを始めるに至った経緯を聞かせてください。眞由さんは丸森町出身ですか?
親が藍染の工房をやっていて、私が3歳の時に岡山からこちらに移住しているので、Iターン2世です。移住者の子どもとして地域に迎えいれられたというアイデンティティがすごく強くて、中学校1年生からジュニアリーダーでまちづくり活動に参加したのもそれが理由だったと思います。中高の6年間、「地域」に関わる活動に学校以上にすごい力を入れて、高校卒業後フリーターになるつもりだったんですけど、卒業間際に教育委員会の方が、これだけ頑張ったんだから次はジュニアリーダーの指導者をやってみないかと声をかけてくださり。社会教育指導員として役場で働くことになりました。
一方で、私が高校を卒業した10日後に東日本大震災がありました。丸森には福島の避難者が結構来られたんですが、避難所にボランティアに行っても大人は皆大変そうにしていて、10代の私たちに任せられることも当然少なく、お手伝い程度のことしかできなかった。その時、もう少し歳の近い大人と一緒だったらもっとできることがあるんじゃないかと思ったんですが、地域内の頼れる2、30代が周りに全然見えないことに気づいて、若者が活動できるような母体が少ないのかなと思ったんです。中高生から2、30代くらいの世代がつながりながら地域活動ができたら、平時だけでなく災害時にもきっと大事な地域力になるのになって。それで、2012年夏に青年団「Re.Birth.」を立ち上げました。町内の同年代のティーンを1人ずつ一本釣りして20人ぐらいの団体になって、若者が楽しめるイベントを企画したりして。YOMOYAMA副代表としてずっと一緒にやっている同級生の信岡萌美もそこで加わりました。
─── 青年団が始まりだったんですね。
そうですね。でも、同時に葛藤がありました。色々思いやられるというか、ここに暮らしているみんなで一緒に未来を作っていけるか不安になるというか。10代の時って辛いことがあっても自分で乗り越えるすべを持っていないじゃないですか。毎日のように、青年団の同年代と夜ファミレスで集まって話しても、みんな口を開けば愚痴や悪口ばかりで、そうやって発散するしか自分を保つ方法がない……そういう日常がすごく苦しかったんですよね。丸森を良くしたいと思っているのに、そういう方向に話が向かない。挙げ句の果てには「楽しいことしかしたくない。地域のことはどうだっていい」なんて言われちゃったりして、すごく落ち込みました。何かこう、もっとちゃんといい大人になっていくための学びが必要なんだろうなって……田舎って学校を卒業すると学びの機会が壊滅的になくなっちゃうんですよね。
そんな時に、2014年から隣の山元町で(一社)ふらっとーほくによる「伊達ルネッサンス塾」という人材育成塾が始まりました。自分自身の興味関心や課題意識を深掘りしながら、地域や社会の現状と課題を学び、自分に根ざしたビジョンを持ってマイプロジェクトをつくっていく、というものです。萌美と2人でそれに一期生として参加して、そう! 地域にはこれが必要だ!って思いました。
役場で3年働いた後に丸森町筆甫地区の集落支援員をやっていたんですが、その後2015年にふらっとーほくの理事になり、仕事として伊達ルネッサンス塾の運営を担当するようになりました。塾に集まった若者でいずれ塾そのものを運営していくのを目指していたこともあり、最終的には2017年に塾が4年目になるタイミングで、伊達ルネッサンス塾を引き継いで、YOMOYAMA COMPANYという任意団体を作りました。活動範囲は仙南、拠点は思い入れのある丸森に置きました。
─── 眞由さんの関心事は、人材育成にシフトしていったんですか?
人材育成というか、日常の中に人間的に成熟できるような学びの場があれば、きっと未来も変わるだろうなっていう感覚です。ふらっとーほくと関わるようになって初めて、東日本大震災復興期のリーダーたちや、ソーシャル界隈の人たちとたくさん出会って、その人たちのいろんなスキルや考え方を通して、課題への向き合い方を習い覚えたというか。それによってすごく生きやすくなったという体験が自分の中にあったんです。そしてその学びが地域に広がれば、地方特有の不便さや課題すらも、きっと自分たちの手で良い方へ変えていける力が根付くだろうと思いました。
─── 青年団が発端で、学びの場に発展したのが、YOMOYAMA COMPANYだったんですね。2020年の夏に、拠点をオープンされましたが?
地域での拠点ってすごく大事で、いずれYOMOYAMAでも作りたいと思っていたんです。ちょうど建物の契約直前で台風災害があり少し延びて、2020年の春から工事を始め、夏にオープンしたのが「地域交流拠点・まどい」でした。
本当に全ての人が利用できる場にしたかったので、時間帯を3つに分けていろんなことを実験的にやっていました。お昼の時間はランチとカフェ。夕方の時間帯は子どもたちの放課後の居場所として18歳以下全品半額とか、大人たちのペイフォワード(恩送り)チケットを使って無料で飲食できる場とか。夜の時間が「ソーシャル・スナック」、私的には、そのスナックの部分が一番の肝入りで。地域の男性って、いろんなコミュニティ事業みたいなことやっても大体来ないじゃないですか、福祉の手からも漏れやすかったり。だからスナックでお酒が飲めるっていう看板があれば、多分利用しやすいだろうなって。スナックは福祉、ママはファシリテーターだと思ってやっています。大きなチャレンジでしたが、結果的にどの時間帯も狙った層の人が利用してくれました。
まどいの立ち上げから、ピーク時は7人くらいのチームでやっていたんですけど……。でも、いろんなことがあって……今は実質、副代表の萌美と私の2人に戻っています。