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この感覚を信じて。暮らしの中の養蚕とシルクの文化を継承したい。
阿部倫子
「SILKWa(しるくわ)」主宰/ライター
宮城 丸森
惹かれるままに動いたら、自然と丸森に移住していた
─── 「SILKWa(しるくわ)」のサイト、とても素敵ですね。
ありがとうございます。日々の活動の様子をブログに書いたり、シルクや桑関連の体験を行ったり、養蚕やシルクにまつわる場所をご案内したり。丸森で自分が感じたシルク、養蚕文化、桑の魅力発信を中心に活動を続けています。大内地区にある古民家を改修した「たね家」というシェアハウスをもと地域おこし協力隊OBOG3人で運営しているんですが、納屋を自分の活動のアトリエにしていて、今後、様々なワークショップなども開催していきたいと思っています。
─── 里山の人かと思っていたら、倫子さん自身は石巻出身なんですね。
はい。両親の転勤であちこち行きましたが、どちらかというと元は海寄りですね。母の実家が石巻でたらこ屋を営んでいるんです。高校生からは名取市に住んで、大学を卒業して仙台で働いて。
でも、うちのばあちゃんがよく、自分が興味を持ったことや気になったことがあったら、何でも挑戦してみなさいって言ってくれていたのがずーっと心にあって。ばあちゃんの言葉をたどるじゃないですけど、自分探し的に転々とするようになりました。
─── 丸森に暮らすことになったのはどういう経緯だったんですか?
いろいろ気になる土地に行ったけれど、私は季節を感じるのが好きなんだな、と。結局、自分が生まれた故郷の近くに戻ってきたんですよ。
たまたま手にしたフリーペーパーで、丸森に、炭焼きや畑仕事、薪割りなど、里山暮らしを体験できる宿が載っていて、泊まりに行ってみたら、一発でハマっちゃっいました。今はもうない場所ですが、初めて泊まりに行ったとき、地域のみなさんが家族のような輪の中に入れてくれました、多分、15、6年前ですね。それをきっかけに、丸森にイベントや何かの手伝いに通うようになったんです。自分が求めているものや会いたい人がいる、落ち着ける場所があるんだなっていう感覚、それに気づかせてくれたのが、丸森でした。そのうち、みなさんのおかげであっという間に仕事も家も見つかっちゃって。
─── そうなんですね、元は、泊まりに行っただけですよね。
そうなんですよ。でも、そこでの感覚があまりにも新鮮すぎて。日本の原風景というか、ちょっと民俗的な、独特な雰囲気。それで、丸森で幸せな暮らしを始めたんだけれども、3、4年後に震災が起こってしまいました。
─── 震災の後はどうしていたんですか?
じいちゃんが築いた石巻のたらこ屋も被害を受けました。それで、仙台で叔母が始めた、たらこの販売と食事ができる「たらこcafé」を手伝うようになりました。丸森には定期的に、みなさんに会いに戻っていました。
そうしているうちに、丸森町で地域おこし協力隊をやらないかとお声がけをいただいたんです。2016年に着任しました。ミッションは、丸森の8つの地区のうちの一つ大内地区の方々の希望で、「地域の教科書」を作るというものでした。