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旅の途中で立ち止まり、ママの笑顔を増やしたいという原点の想いに返る

志田ももこ

カメラマン/コソダテノミカタ
宮城 気仙沼

旅の途中で気仙沼に魅了されて。ゲストハウスを運営することに

── ももこさんは、気仙沼にあるゲストハウス「架け橋」の立ち上げに関わり、長く運営をされていたんですよね。

はい、元々は気仙沼で被災地支援をするボランティアが長期滞在するための宿を、学生団体が運営していました。

ちょうどその頃、私は横浜に住んでいたんですが、仕事を辞めて長い旅に出ることにしたんですね。横浜から北海道まで太平洋沿岸部を上がって、日本を一周をする予定でした。その途中で気仙沼に寄ったときに、この宿を利用して、すごく楽しかったんです。

ちょうど復興支援のボランティアがだんだん減っているから、今度は全国から旅人が気仙沼にくるような宿にしたいという話の流れになり、私が立ち上げから関わることになりました。

─── なんと、旅の途中で、気仙沼に止まることになったんですね。

はい、そもそも、震災後の東北の様子が見たいという気持ちがあって、旅の通過点として気仙沼を選んだんですが、来てみると想像とは違ってすごく明るい街だとわかって。私の中では、正直、震災の被災地としてどこか暗いイメージがあったんですが、とんでもない。ボランティアも旅人も地元の人も、会う人会う人みんな元気でイキイキして。この街って面白いなあとすごく好きになりました。その後、北海道や他の町にも行ったんですが、結局日本一周はせず、気仙沼に戻ってきました。

─── 仕事を辞めて旅に出たとおっしゃいましたが、それまでは、どんなお仕事を?

看護師でした。私は小学生の時にケガで長く病院にかかっていたことがあって、そのときによくしてくれた看護師さんに憧れて、中学生の時には私は看護師になるんだとなんとなく思っていました。その後も進路には何の迷いもなく、医療系の大学に入って、ストレートで看護師になり、小児医療センターで3年弱働きました。

─── その憧れのお仕事を辞めてまで、旅に出たのはなぜ?

仕事はすごくやりがいがあったんですが、ずっと看護師になることしか考えていなかったから、他の世界をあまり見ていなかったんですね。大学も医療系で、みんな入学した時から進路が決まっていて、休学や就活をしたり、仕事や人生に迷うこともなく、医療従事者になっていく。でも、働き出してからは世の中には、いろんな価値観があるんだな、もっと広い世界を見たいという気持ちが強くなっていったんです。それで、いつか看護師に戻るとしても、一度思い切って退職をして、旅に出ようって決めました。

─── へえ、それで今度はゲストハウス運営に、飛び込んだんですね。全く違う仕事ですが、やってみてどうでしたか?

もう、大変なことしかなかったです(笑)。お金を工面し使うことも、建物を作って自分たちでリノベーションをすることも、そもそも法人化するための手続きなどもわからないし。自分は何も知らないで、守られた立場で、綺麗な世界だけ見ていたんだな、と反省しました。

ゲストハウス運営と言っても、お客さんとお話ししたり接したりする仕事は5%くらいで、そのほか95%はすごく大変な仕事ですよね。思っていたのと全然違った!(笑)

ただ「やりたい」って自分から言ったんだから逃げ出せないという気持ちで必死で続けました。そのうち、だんだん地域の人たちとの関わりも増えてきて、仕事の流れも、世の中の流れも理解できるようになってくると、少し余裕も出て、面白さや楽しさも見出せるようになってきたんです。

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