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幻の染料植物パステルを使った気仙沼ブルーで新しい地域経済を作りたい
藤村さやか
(株)インディゴ気仙沼 代表取締役
宮城 気仙沼
小さな藍染工房からスタート。希少植物パステル栽培にも挑戦
─── 結婚して気仙沼に来て、出産されて。お仕事はされてなかったんですか?
東京では、もうずっと仕事をしているような生活だったから、少しのんびり子育てをしたいなと思っていて。息子をおんぶしてスーパーに買い物に行く毎日でした。
その通り道に、藍染工房があったんです。私は毎日その前を通って、ガラス越しに地元のお母さんたちが染めをしているのをのぞいていたんです。すると「ちょっとお茶でも飲んでいって」と中に誘っていただくようになって。
そこはある社団法人さんが立ち上げた工房で、震災後の緊急雇用創出事業の補助金を使って、職場を流されて仕事を失った女性たちを優先的に雇って藍染をしていました。お話を聞くと、震災から2、3年経って、そろそろ支援が打ち切りになると。藍染に魅了されていた女性たちは工房を続けたいのだけど、自分達で運営をしていかなければならず、どうすればいいか戸惑っていました。
そこに東京で会社経営をしていた私がタイミングよくやってきた不思議なご縁で、手伝ってほしいというお話をいただきました。
─── またも偶然の出会いですね! それで藍染工房に関わるようになったんですか?
いえいえ、最初はもう全力でお断りして(笑)。私が東京でやっていたのはインターネットとパソコン一つでできる企画の仕事でしたから、店舗や製品在庫を抱えて、人様を雇う仕事なんて無理だと3回くらいお話ししたんです……。だけど、みなさんすごく熱心で、本当に美しい染めの生地を作って何度も見せてくれたんですね。
ああ、こんなにも頑張っている方々を前に、断る理由を考えてばかりいるのは失礼だ、と思うようになって。それで地元の経営者の方々のところへ支援を求めて回ったんです。するとある人が「家賃を援助してあげるから、それでやってみたら?」と申し出て下さって。
それならばもうここは甘えて固定費を減らし、なんとか人件費くらいの利益を出せるかなと計算して、やってみることにしました。
─── 全くの未経験分野なのにすごいですね。
最初は、染色と商品製作、販売のみで手探りで始めました。私たちの会社で働きたいと思ってくれる方は、小さなお子さんを抱えたお母さんたちや、60代以上で少し自分の時間が取れるようになった女性たち。漁業や農業を手伝って、家のことも全部一手に引き受けるそんな女性たちが、一日数時間みんなで話しながら、子連れでも安心して出勤できて、楽しく染めの仕事を続けたいという思いを、なんとかお手伝いできないかと思ったんです。
気仙沼の海の色と合わせて、藍を使って「気仙沼ブルー」を打ち出し、赤ちゃんや子どもでも安心して身にまとえるような商品を、お母さんたちの手で一枚一枚染め上げて作ろうというコンセプトで運営をはじめ、少しずつ軌道に乗ってきました。
─── 現在、メインの商品となっている「パステルブルー」は、なかなか出せない色だとか。日本でこの色を取り扱っているのは、インディゴ気仙沼さんだけなんですね。
そうなんです。最初に行なっていた藍染は、天然藍に化学的な薬剤を加えて発色させる「化学建て」という方法だったんですね。でもそばで子どもたちを遊ばせながらお母さんたちが働く工房で、薬剤を扱うことに違和感を覚えるようになって。それで、100%天然の染料に変えたいと思っているときに、染料植物「パステル」を見つけたんです。
パステルは諸説ありますが「パステルカラー」の語源にもなっている染料植物で、とても美しい淡くグレーがかったブルーが出ます。偏西風という冷たい風が吹く西岸海洋性気候で良く育つと言われて、最近はフランスのトゥールーズで復活栽培されたことが大きなニュースになりました。冷たい海流と風は、まさに気仙沼の気候とマッチする。「これだ!」と思い、2016年12月から未経験の栽培に乗り出すことにしました。