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自然の中で、子どもの思いを大切にした保育を通じて「余白」を守りたい

赤畑綾子

一般社団法人モリノネ/元 気仙沼森のおさんぽ会共同代表
宮城 気仙沼

子どもが生まれ自分ごとになったら、この町の子育て環境をもっとよくしていきたいと思った

─── 震災後、何か心境に変化はありましたか?

震災が直接影響しているわけではありませんが、震災の2年後に子どもができて、給食の仕事を辞めました。そこから、しばらくは専業主婦だったんです。

変わったといえば、子どもができてからですね。小学校の給食室に9年間いて子ども達と触れ合う機会が多かったものの、それまではこの町の子育てについて深く考えたことがなかったんです。でも、いざ自分が母親になってみたら、いろいろなことが気になるようになって。そんなとき、市で「子ども子育て会議」の市民委員を募集していたので、応募してみたんですよ。「子ども子育て会議」というのは、行政と市の幼稚園や保育園の先生、子育て関連団体、子育て家庭が一緒になって、気仙沼の子育てについて考えるというもので、市民から2名参加できるんです。

─── 子育て中で忙しいのに、なぜ参加しようと思ったのですか?

給食室で働いていたときに感じたことなのですが、PTA役員ってみんなあまりやりたがらないじゃないですか? でも、PTA役員になると先生達とたくさんコミュニケーションがとれるし、行事などに深く関わるので子どもの様子を観に行くこともできる。いろいろな情報が入ってくるんですよ。学校に入り込むことで知れることってあるんですよね。

でも、役員をやっていないと、学校に行くのは年に数回の行事だけ。それなのに、何かあると先生を批判したりする。でも、そうなった理由というのは必ずあるんです。それを知らずに偏った目線で見るのはどうなんだろうと。「子ども子育て会議」のメンバーに立候補したのも、ちゃんと中身を知りたいと思ったからなんです。ただ要望を伝えるだけでなく、それが実現できない理由は何なのか、それぞれの立場の人の話を聞くことも大事なんじゃないかと思ったんです。

─── 子育て支援に関心を持ったのも、その頃からですか?

そうですね。同時期に、ちょっと気になることがあって。上の娘が幼稚園に通うようになってすぐのことだったんですが、母の日にお母さんの絵を描くことになったんですね。そしたらある日、娘が「目って黒くないとダメなの? 口は赤じゃないとダメなの?」って聞いてきて、「そんなことないよ。好きなように描いていいんだよ」と言ってあげても、「でも、先生がそう言っていたよ」と。それを聞いて、なんか私モヤモヤしたんですよね。

まだたった4歳の子どものこんなに小さな「したい」にも大人の思う「良い」や「常識」が関与してくるんだなって。4歳児は生まれた月によって成長の差があるので、先生はきっとその差を少しでも埋めようとしてくれたんだと思うんです。でも、子どもの「やりたい」は尊重してあげたい。自分軸を育ててあげたいと思ったんです。

─── 森のようちえんに出会ったのも、そんな思いから?

森のようちえんを知ったのは、「子ども子育て会議」のメンバーだった(一社)プレイワーカーズの方に「赤畑さん、『森のようちえん』って知ってる? 赤畑さんが子育てで大事にしたいところと近いと思うんだよね」と言われて。調べてみたら、本当にそうで一気に興味を持ちました。と同時に、「赤畑さんに会わせたい人がいるんだ。絶対、気が合うから」って紹介されたのが、Iターンして気仙沼で子育てをしていた杉浦美里さんでした。

そしたら、「再来週、栗駒で『森のようちえん』の養成講座があるから行ってみたら?」と誘ってくれて、このタイミングは逃したくないと思い、参加してみたんです。そこで、「森のようちえん」の考え方や、子どもとの関わり方などを学びました。大人軸ではなく、子どもの思いを大切にするという考え方に共感し、自分も何かを始めたいと思うようになったんです。

─── 行動に移したのは?

早かったですよ(笑)。杉浦さんと2人でとにかく何かやってみよう! と、「おさんぽ会」を始めました。親子参加型のおさんぽ会で、山や海、川などで思いっきり遊ばせたいと思って。

私が子どもだった頃は、外に出れば誰かしらいて、みんなで山や海で遊んでいたんですよ。近所の人もみんな親戚のような感じで声をかけてくれて、周りの大人達に見守られながら、のびのびと過ごせた最後の世代だったと思うんです。

でも、自分より10歳くらい若いママ達は、子どものときにそういう経験をしたことがなくて、誰かが連れ出してあげないと、自然の中での遊び方があることを知らないまま。気仙沼の良さは、自然がいっぱいあることだと思うんです。これを活用しない手はありません。

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