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海の窓口を拠点に、地域の人たちとより良い未来へ歩んでいきたい

佐藤奏子

Beach Academy釜石 代表/さんりくBLUE ADVETURE共同代表
岩手 釜石

素潜りとの出会い。廃天ぷら油で日本一周中の経験が、価値観を変えた

─── 奏子さんは、釜石で海に関わる活動をされているのですが、そもそも海との出会いは何だったんですか?

大学生のときに、海が好きな親友と小笠原諸島へ行きました。そこで、自分たちでおにぎりを作り、一日中素潜りをする生活をしていました。毎日青い海を見て泳いで、鯨やイルカを見てっていう生活をして、本当にその経験がなければ今の活動につながっていないかもしれないです。写真学科で写真を勉強していたので、卒業制作として、暗室に入ってモノクロの水中写真をひたすら現像・プリントしていました。

─── モノクロの水中写真!

親友と千葉に行った時に、一枚のポストカードに出会うんです。時の流れのようなものが感じられる不思議な海の風景のモノクロ写真で、エドワード・レビンソンという日本在住アメリカ人の写真家の名前が書いてありました。その写真を見た時に感じるものがあったんです。

後日、カメラアシスタントのバイトで、エドさんのご自宅スタジオにワークショップのお手伝いに行く機会があって。自分たちの家をデザインして建てて、いわゆるロハスで自然を大切にする持続可能な暮らしをされていたのが、とっても素敵だなと思いました。この出会いも、今の自分の大事なものを作っているように感じています。

─── 大学時代に海の魅力に出会い、卒業後は雑誌社で働かれたとのことですが、そこでも海に関する仕事をされていたんですか?

そうですね。ダイビングや旅をテーマにした雑誌出版社に勤めました。そこで執筆や、撮影、編集、企画など一連の作業をやらせていただきました。沖縄、モルディブやパプアニューギニア、パラオなど、さまざまな海を見て、そこで暮らす人々と出会えた経験も大きかったですね。

─── その頃に、体調を崩されたとか。

はい。今まで通り働けなくなったときに自分の人生を色々振り返って、何のために生きているんだろうと考えていました。そこで自然といっても海だけでなく、いろんなものを見てみたい、たくさんのものにつながって見てみようという気持ちになりました。

そんな中、毎年取材していたサバニレース(沖縄の伝統船のレース)に行った時に、現在は釜石市橋野町を拠点に、釜石の自然再生エネルギーを利用した「橋野ECOハウス」を運営している山田周生さんに出会いました。周生さんが廃天ぷら油を燃料とした車で日本一周をしている途中で、そこからはクルーとして日本一周を撮影班として手伝わせてもらいました。

─── 廃天ぷら油で日本一周する経験って、なんだかすごそうですね。

食やエネルギーの自給自足や環境などを軸として、旅を通じてさまざまな活動をしている人たちに出会うことで、自分の世界観とか固定観念のようなものが全部取り払われるようでした。もっと自由でよかったり、その人らしくいていいとか、いろいろなアイデアや方法があって、そこにそれぞれの想いがある。そういったことに触れて、これまでの価値観が変わる大きなきっかけになりました。

─── そして、その日本一周中に、震災がおきたと……。

日本一周中に、花巻の自然農園ウレシパモシリさんのところで、味噌作りをご一緒させていただいたときに地震が起きました。

それで、近所の豆腐屋さんに行って、揚げ油に使っていた廃油をもらって燃料を作って、物資を満載にして、一番初めに釜石の緊急支援に行きました。

日々、物資や人を運んでいるうちに、だんだん仲間が集まってきて、一緒にボランティアチームを作って、支援をするようになりました。緊急支援からだんだん中長期支援になっていくうちに、拠点をもち、釜石で暮らすようになったという感じです。

─── 釜石で暮らすうちに、海の活動を始められたんですか?

震災後、毎年変化が見られる中で、夏には人が海に足をつけてパシャパシャ遊ぶような姿が少しずつ戻ってきたりもするけど、海に行く気分や機会がなくなってしまう親子さんもいらっしゃって……。

1人や家族だけで行くのと、海を知っている人と行くのとでは、安心感や心の開きかたが違うのではないかと思いました。そこで、釜石の海につながる人たちが集まって、海で安全にみんなで遊べる場所を作ろうということで、年一回「海あそびワンデイキャンプ」といったイベントをやり始めました。それが「さんりく BLUE ADVENTURE」です。

初めは参加者が集まらず、スタッフ合わせて20名ほどだったんです。開催するにつれ、「やっぱり海に行きたい」という思いや口コミによって参加してくださる方が少しずつ増え、今では総勢80~100名近く集まるイベントになりました。年々人数が増えてきたというのは、みんなの海への距離の現れなんじゃないかなと思っています。

子どもに海を楽しんでほしいという想いを持った、親御さんや地元の方、地元企業といった沢山の方に手伝ってもらえたことで今に至っています。

釜石には震災前から海の活動を続けてきた方が多分野にわたっていらっしゃいます。そうした方々が、海との付き合い方や遊び方を伝えながら、海とともに生きてきた文化や体験をつないでいく場にできたら、そんな想いでやってきました。

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