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誰もがそれぞれつらさを抱えているからこそ、手を伸ばしてつながっていきたい
宮﨑恵美
(一社)Mother Tree代表理事/NPO法人ReLink副代表理事
福島
大切なひとを失う体験から、家族支援とグリーフケアを目指して
─── 生まれたばかりの赤ちゃんに心臓の病気が。
生後3日で手術をしました。術後の娘の状態から、「きっとこの子は障がいをもって生きていくことになるだろう」と覚悟しました。でも、実際はその2日後に娘は亡くなりました。
─── それは……、本当にお辛かったですね……。
あっという間の出来事でした。もうこの先、どんな顔をして生きていけばいいのかも、わからなくなってしまいました。
上の子を園に迎えに行くと、他のママさんたちに、「赤ちゃんは?」と聞かれるんです。亡くなったことを伝えると、みなさん困った顔をしてサッといなくなってしまう。元気づけようと声をかけてくれる人もいたけれど、気を遣わせてしまうことが申し訳なくもあり、同時に、なぜかイライラしてしまう気持ちもありました。
また、子どもが亡くなると育休は取れないので、産休後は仕事に戻らなくちゃいけないんですが、その時も周囲が腫れ物に触るような感じで。上司に「早く次の子を産んで元気出して」と言われた時に、ああ、もうここでは働けないと思って、仕事も辞めてしまいました。本当に、一番辛い時期でした。
─── 復職せず、その後はどうされたのですか?
その頃に地元の大学で小児看護学の教員のポストが空いたという連絡をいただいて。それで、流れに身を任せて大学での仕事を始めました。
その後、教員在職中に息子が生まれました。産後半年で復帰したんですが、夜の授乳と長女の世話と仕事と家事で、時間に追われ睡眠も食事もろくに取れなくなっていたんです。するとまず車の運転ができなくなって、毎朝何を着ればいいかがわからなくなって、離乳食も選べなくなりました。ただ忙しいからかなと思ったのですが、選択する能力がなくなってしまったんです。産後うつ状態でした。
─── 無理が続いたんですね……。
学生に周産期のグリーフケアを伝えたり、遺族支援の研究をしたりという志の目処がつかないで、子育てへの理解も難しい職場の状況だったので、でももう限界だな、という思いもあって……。行き詰まっているときに、夫が「大学じゃなくても、やりたいことはできるでしょ? 好きなことをやったらいい」と言ってくれたんです。
よく喧嘩もしたけど、ちゃんと私を見ててくれるんだとありがたかったです。家庭に想定外の出来事があると女性がキャリアを諦めて対処することが多いと感じています。そうしなければならないという世の中の無言の圧力もあると思うし、自分の中にもありました。そういう世の中の女性への差別的な価値観がある中で女性がキャリアを築くのは難しいことです。でも、妊娠出産とキャリアに関して色々な経験をしたからこそ、女性が活躍できる社会にしたいとか、家族支援に関わりたいとか、周産期のグリーフケアをやりたいとか、色々な思いが固まってきた頃でもありました。
─── 大学の仕事を辞めてから、具体的にはどんなことをされたんですか?
ママたちが安心して集えるような場をつくりたいけど、具体的にどうすればいいかなと迷っていた時に、ある日何気無くアロマセラピーグッズを販売している小さなお店を覗いてみたんです。精油を嗅いでいたら、お店の人が声をかけてくれて。「何をしている人なの?」と聞かれたので「大学で働いているけど、もう辞めるんです。楽しいことなんて何もないし」なんて愚痴っていました(笑)。
すると彼女が「もったいない! 辞めて何をしたいの?」というものだから、なんとなく「ベビーマッサージの資格を持っているから、親子で来られるアロマの教室でもやろうかな」なんて答えたんです。そうしたら、突然「場所はあるの? ないならうちを使ったらいい」と言ってくれて。
─── え? 展開が早いですね!
そうなんですよ(笑)。それであっという間に店舗の一部を貸してくださることになって。それが、「ポレポレ」の始まりなんです。
アロマやベビーマッサージは一つのきっかけで、「子育て」をキーワードにして、口コミで少しずつ地域のお母さんたちが集まってきてくれました。教室に参加してくれるお母さんたちとも、毎日色んなことを喋っていると、私を含め、みんなが元気になれるってことに気がついて。思いがけずピアサポートのような場が生まれていったんです。次第に、私が教えるだけじゃなくて、参加者さんのリクエストで講師を招いて講座を開催したりと、幅広い活動につながっていきました。