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縁あって来た福島。続く転入女性たちにも、福島を好きになってほしい
藤本菜月
一般社団法人tenten 代表
福島
ついに見つけたパート先、若者からの刺激を受けて
─── 最初の「絶望」から始まった南会津が、俄然楽しくなっていったんですね。
そうなんです、この南会津での縁はずっと続いていて、今も私の大事な場所です。
でも、予期した通り、離れる時が来ました。南会津での3年目に息子を授かったんですが、その赤ちゃんを連れて南会津から車で1時間半くらいの喜多方市に転勤。初めての土地では子育て支援センターに行きまくっていました。そこで、2011年3月の震災を迎えたんです。息子が2歳前くらいの時でした。
─── 不安、でしたよね。
原発のこともあり、私の両親が帰って来なさいと。とりあえず、息子と私だけ実家の石川県に行き、2か月ほど過ごしました。喜多方市に戻ってからも、内陸だとはいえ不安で。外遊びが好きな息子について回って、放射線量が高いと言われていた雨樋に近づいたら「ダメダメ、そっち行っちゃ!」とか、今まで気にしたこともない地元の食べ物のことに敏感になったり。その次の転勤で須賀川に暮らすようになり、そこで第2子を出産。須賀川では子育てに追われていた記憶しかないという感じで……。
─── そうでしたか。そして、今お住まいの福島市に引っ越したんですね。
そうです、2014年の春、福島に来て7年越しで福島市に暮らすことになりました。
私、ついに仕事ができるかも! って下の子の保育園の申し込みをしたんですが、当然ダメで。それならば、保育園の昼間の一時預かりの時間帯だけでもできるパートはないかと探しました。
ハローワークで見ていたら、一般社団法人ブリッジフォー福島(以下、BFF)という団体の求人が出ていて。勤務体系が平日の3日間、9時〜5時のうち4時間以上というすごくゆるーいものだったんです。これだったら、今の自分も働けるかもしれない。さらに、仕事の内容が復興支援関連となっていて。私、自分が、乳幼児を抱えて避難した側の人間だったのが、きっと何か後ろめたかったんですよね。それで、今からでも福島に何かできるのかも、という気持ちもあって。
─── いわゆる、非営利組織って初めてだったんじゃないですか?
そう、そうなんです。商品やサービスを売っているという風でもないし、非営利組織の運営にも興味を持ちました。私の仕事は具体的には、企業が復興支援で行う福島と宮城の農業高校での経営マーケティングの授業を現地パートナー団体として運営するというものでした。まさかの、私の農学部からの経歴がつながりました。
─── えー! 7年越しで。つながりますねえ。
実際に高校生の相談相手をしたり、外部講師や販売イベントのコーディネートをしたり。なかなか、大人になって高校生とふれ合う機会ってないじゃないですか、すごく新鮮でした。
それと、BFFの事務所に出入りする高校生、大学生たちがいわゆる「マイプロ*」をやっていたんです。その子達がすごいんですよ。自分で考えて単に計画するだけじゃなくて、本当にやってみる。雑談で、「へー、そういうことなら××さんに話を聞いてみたら知ってそう」、なんて言ったら、本当にすぐ連絡を取って会いに行ったり。
─── そうなんですね。でも、菜月さんも南会津の頃の話を聞くとすごく行動力だと思いましたけど……。
いやいや、全然違うんですよ。私、「仕事」って頼まれたから言われたからやっていたところがあって。bel*fonteの雑貨づくりも、誘ってくれたから始めたもので、自分発みたいなことそれまでなかったんです。でも、BFFに出入りする若者たちの姿が刺激になって、ふつふつと、私もやれることあるかもなあ。私、転勤の奥さんたちのことでモヤモヤしていたんだよなー、って思い出し始めて。