018
地元・大槌へ戻ることが、当たり前の選択肢にあったんです
東谷いずみ
あずま家女将
岩手 釜石
原点となる震災を振り返ったとき、つながる場をつくると決めた
─── いずみさんの今やっている活動について聞かせてください。
今は、釜石大観音の仲見世通りというところで、ゲストハウスの運営をやっています。昨年度までは、性別問わず宿泊者を受け入れるスタイルだったんですけど、今年度からはちょっと形式を変えて、女性限定の中長期滞在者専用のゲストハウスとして再出発しています。
あとは、隣町で私の地元の大槌高校で非常勤のスタッフとして勤務しています。業務はさまざまですが、主に町外・県外から大槌町に移り住み、大槌高校で3年間を過ごす「おおつちはま留学」の学生の生活サポートをしています。
─── ゲストハウスを始めるきっかけになったのは?
震災のときに、地域内外のいろんな人とできたつながりに助けられたという思いがあったので、そういう、つながる場作りをしようと思っていました。色んな人に話を聞いたり、面白そうだと思った場に顔を出していました。どんな場にしようと悩んでいたときに、新潟県の粟島にある「おむすびのいえ」というゲストハウスに出会って、場づくりをゲストハウスという形でやろうと思ったのが最初のきっかけですね。
それまでゲストハウスにあまり泊まったことがなくて、イメージ的にも泊まる人たちの交流の場だと思っていました。でも、「おむすびのいえ」は地元の人との交流もすごくある所で、夕方の4時頃になるとおじいちゃん達が集まってきてオーナーさんと一杯かわすという光景があって。私もそこに混ぜてもらいました。そういう緩やかな時間がとても心地よかったという思い出があるんですね。私ももし場づくりをしたら、地域の人との交流もできるような場をつくりたいと思い、決断をしました。
─── そのゲストハウスに行ったのは、学生のときですか?
社会人2年目です。その頃は、宮城県石巻市というところで、復興支援員として働いていました。任期後は、またどこかに雇用されて働くか、自分で何か仕事を作るかしなくてはいけないので、今後どうしようかと考えていたんですよね。
─── 釜石とのご縁はどんな風につながったんですか?
2017年の9月に「おむすびのいえ」に行って、ゲストハウスをやると決意するも、チャレンジする場所が必要だなと思って。それで実際にどこでやるかを探していたときに、釜石市が起業型地域おこし協力隊「ローカルベンチャー」という取り組みをやっていることを知りました。その時にちょうど、空き家を活用してお店をやってくれる人の募集がかかっていたので、これだ!と思って。釜石に来るきっかけがそこにあったって感じですかね。
─── そして釜石ローカルベンチャーとして着任したと。
そうですね。結構トントン拍子で話が進んでいって。2018年5月から、釜石ローカルベンチャーとして着任しました。着任してからは、自分の中でミッションははっきりしていたから、1年目、2年目、3年目と自分がやる絵を描いて進んでいきました。ゲストハウスは2年目で開業しました。
─── どんな感じでオープンまで進めていったんですか?
自分の地元・大槌に近いけど、釜石のことはよくわからなかったんです。ローカルベンチャーがあって盛り上がっていることとか、仲見世リノベーションプロジェクトのような市民活動が盛んにあることとかも知りませんでした。
釜石ローカルベンチャーの仲見世エリアの地域パートナーとして、宮崎達也さんという方がいて。釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクトという団体の代表で、「co-ba kamaishi」というシェアオフィスの管理人でもあるんですけど、その方が先に地域に入っていたので、仲見世の事情もなんとなくわかって活動できたし、地域の人ともつないでいただけました。
さらに、既にシェアオフィスを運営している実績もあるので、これからお店を開業する私にとっては、目の前にいるその先輩の存在がすごく助けになりました。何から何までいろんな助言をもらって、何とかオープンできたなと。
─── リノベーションの作業も自分たちでしたと聞いていますが、大変でしたか?
セルフリノベーションでゲストハウスを作っていく時に、だいたい50人以上の協力者がいました。まず1年目にトライアルとして民泊あずま家をやってみたんです。それで本当にここでゲストハウスをやる、という空気が作れていたから、2年目で協力者がこんなに増えてくれたっていうのはあったのかなと。
常にインスタグラムとかフェイスブックで、「明日はこの時間に、この作業をやります」って発信していたんですよね。あとは、誰かが作業している時に、また違う誰かを呼ぶみたいな現象も起こったりしていて。バックパッカーの人が2日間ここに泊まりながら手伝ってくれたこともありました。
いろんなものを並行で進めていて、こっちが決まらないと、あっちが申請通らないとかみたいなことが続いたのは、しんどかったですね。でもやらないっていう選択肢はなくて。走っちゃったから。それだけはなかったです。