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自然の中で遊び、学び、「自分軸」を育てる保育をめざして
清水冬音
森のようちえん「虹の森」代表/保育士
宮城・多賀城
「環境」×「保育」 自分の興味を追求したら、チャンスがやって来た
─── 冬音さんは神奈川の出身なんですね。
はい、横浜で育ちました。横浜といっても、私が育った緑区は海からは遠く、周りに自然や畑があるようなのどかなところで。今でも覚えているんですが、通っていた保育園の先生がよく近くの森に連れていってくれて、そこで遊んだのがとても楽しかったですね。
─── 「森のようちえん」のような自然保育に関心を持つようになったのもそこから?
ズバリそれだけが理由というわけではないのですが、ベースにはなっているように思います。
─── 宮城に来たのは震災がきっかけなんですか?
震災が起きたのは、大学院1年の3月、23歳のときでした。でも、すぐに行動に移したわけではないんです。4月から夏までは、関東以西の森のようちえんに見学に行ったりお話聞かせてもらったりして、8月になって、学生で動きやすい身だったからということもあり、自分も何かしなくては、という気持ちで、RQ市民災害救援センターのボランティアに参加してみたんです。RQは宮城県登米市を拠点に、被害が大きかった気仙沼や南三陸の復旧支援を行っていました。瓦礫拾いをしたり、仮設住宅に暮らすお年寄りとおしゃべりしたり、気仙沼では牡蠣養殖のお手伝いをしたりしました。
転機が訪れたのは大学院の卒業修了前。RQの現地本部長がやっていた「くりこま高原自然学校」というところで、仙台で「森のようちえん」の活動を始めるので、その立ち上げメンバーにならないかと誘いがあったのです。大学院で「森のようちえん」を研究テーマにしていて、仕事にできたらと考えていたので、 卒業後は宮城にやってきました。
─── なんと、それは幸運でしたね! ようちえんの準備はどんなふうに進めていったんですか?
仙台市や多賀城市を拠点に、活動を始めました。ようちえんといっても園舎はなく、遊び場は近くの公園だったり、山だったり。初めは親子向けの単発のイベントから始まり、その後、通園コースをスタートしました。
困ったのは人集め。「森のようちえん」という考え方もまだまだ知られていなかったし、自分たちで情報を発信するしかなかったので、公園で子どもを遊ばせているお母さんに声をかけたり、お店や公共施設にチラシを置いてもらったりして、地道に園児を集めていった感じです。一方、転勤族の多い市だったので、積極的に情報キャッチをする人もいて、ネットで「森のようちえん」の活動を知って来る人もいましたね。
─── 冬音さんはそもそも、どうして大学院で「森のようちえん」の研究をするようになったんでしょう?
大学では農学部で里山について学んでいました。里山は簡単に言うと、人の家とその周りの畑、田んぼ、雑木林などのこと、人の暮らしが密接に関わっているところのことを指すんですが、人々の手が入ることで保たれている環境なんです。そういう存在をもっと知ってもらいたいという思いがあり、環境教育にも興味を持ち始めていました。
─── 環境教育が幼児教育とつながったのはどこで?
大学院の時です。よくどうしてそこで幼児教育を? と聞かれるのですが、コレといった答えが見つからなくて……。自分自身の幼少期の思い出や、里山の研究を通じて、自然から学ぶことの多さを感じたというのはあると思います。
それともう一つ、大学の後輩たちの中には、とても魅力的なのに、いつも自信がなさそうにしていた子もいたんです。この自己肯定感の低さは何なんだろう? 今までの教育に関係するのかな? と関心を抱くようになったというのもあります。いろいろなことが重なって、幼児教育に興味を持つようになったんだと思います。
─── 森のようちえん」を知ったのもその頃?
はい、ネット検索で知ったんですよ(笑)。「森のようちえん」は自然保育を主体とした幼児教育・保育や子育て支援で、園舎があるなしなど形態は様々ですが、全国のネットワークもあります。私は学生時代に関東地方の「森のようちえん」に参加させてもらい、学びました。一方で、環境保全に関わる仕事にも関心があったので、環境NPOで8か月間インターンをしました。こうした経験から、将来は環境NPOか森のようちえんに進みたいと思うようになっていました。
─── 「虹の森」では、どんな保育をめざしているんですか?
自然の中で心と身体を動かし、自分で考え判断できる「自分軸」を育てることを大切にしています。その日に何をして遊ぶか決めるのは子ども。ケンカが始まっても、無理に大人が仲直りさせるのではなく、そのままだっていい。遊んでいるうちに自然と仲直りできることもあるし、どうしたら相手が許してくれるかなと考えることも大事。そうやって、自分で考え決めるという経験をたくさんしてもらいたいと思っています。それが「自分軸」を持つことにつながるから。
─── 具体的には、子どもたちは、森でどんな風に過ごしているんでしょう?
森の中のおもちゃは、枝や葉っぱ、花や土も、そこにあるものすべてです。決められた遊びや役割がないので、自然の中にあるものは何にでも変身します。木の枝は、魔法の杖、電車、剣。葉っぱは魚、バーベキューのお肉、お金……というように。子どもたちの想像力がどこまでも広がっていくので、遊びもどんどんと広がります。
初めて来る子どもたちは、何で遊んだらいいのか……となる時もありますが、他の子の遊びを見たり、面白いものを見つけたりするなかで、自分の遊びを作っていきます。 逆に、初めから自分の遊びを持っている子もいます。
遊びへの入り口はそれぞれですが、私は子どもたちが作る遊びの世界を一緒に楽しんだり、見守ったりして過ごしています。
──── そういう方針に共感している人が集まってくるんでしょうね。
そうですね。でも、なかには体験には来ても、その後は参加されない人もいますよ。今は約40家族が登録していて、月曜日は畑、火曜日はお出かけといった感じで曜日ごとにいろいろなクラスがあるんですが、幼稚園として毎日通う園児は少なくて……。
資金面の問題もあり、母体だった「くりこま高原自然学校」が3年前に森のようちえん事業をやめると決めて。でも私は続けたかったので、そのまま引き継ぐ形で独立したんです。
─── そうだったんですね。いろいろと悩んだのでは? つらいときや壁にぶつかったときは、どうやって乗り越えていたんでしょう?
うーん……。自分は何に腹を立てているのか、何が悔しいのかマイナスな気持ちの出所を探すんです。それが分かると、だいたいスッキリします。あと、つらいときは車の中で一人泣く(笑)。こっちでは移動はほとんど車なので、一人で車を運転しながら、気持ちの整理をしていました。
それと、友達の存在も大きかったですね。
─── 移住先で知り合いはいたんですか?
いいえ、始めは全然。でも、見知らぬ土地で暮らしていくには、やはり友達はほしくて、学生時代の友達の先輩のおもしろい友達が仙台にいると教えてもらって、遠い関係ですが会いに行ったら、いろいろなイベントに誘ってくれて、そこで同じくらいの歳の人達と知り合い、親しくなりました。友達ができなかったら、ここまで長く宮城で暮らしていなかったかも。
出会った友達はまちづくりの仕事をしていたり、お店をやっていたりといろいろ。こっちで知り合った方に、「虹の森」でワークショップのイベントをしてもらったこともあります。