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「ゲストハウス」への夢の途上。恋した広野町をもっと知りたい

大場美奈

任意団体ちゃのまプロジェクト代表/広野町起業型地域おこし協力隊
福島・広野

子どもの頃は引っ込み思案だった、勇気を出したら変化が

—「広野町で恋の仕方を知った人」って美奈さん自身のキャッチフレーズ、インパクトが強いですよね。
よく言われます(笑)。6年前に嘱託職員として広野町で働くようになったことをきっかけに、広野町の美しい景色に恋をして、そこからこんな素敵な景色をつくっている町の人ってどんな人たちだろうって気になって。広野町の人って結構ツンデレな人が多くて……最初は、ツンケンした態度を取るんだけど、慣れてくるとデレをみせてくれて、そのギャップにやられちゃった感じですね(笑)

—まさしく、恋しちゃった感じ(笑)。今は、広野町でどんなことをしているんですか?
2019年から、広野町の起業型地域おこし協力隊*として活動しています。広野町は福島県いわき市の北、Jヴィレッジがあるところというとわかってもらえるでしょうか。

地域の人たちが、今、地元に何がほしいかを調査した際、「交流スペースが欲しい」というニーズがあり、この多世代交流スペース「ぷらっとあっと」の立ち上げに携わるようになりました。2020年11月からプレオープンという形で、これまでいくつかのイベントや展示会を実施しました。2021年4月の本格オープンを目指して、施設内のDIYなど絶賛準備中です。

—美奈さんは「思い立ったらすぐ行動!」みたいなイメージのある人だけど、昔からそうだったんですか?
実は、小学校低学年までは行動できないし、教室の隅っこで発言しない子ども時代を過ごしてました。学童バスの送迎の際、影薄くて存在を忘れられるくらい(笑)。 想いを述べる言うことができない子どもだったんです。

—えー、意外。今と全然違いますね。
小学校3年生の時に、劇をやることになって。まわってきた役が、みんなの前で意見を述べるという重要な役だったんです。そのときに当時の担任の先生から背中を押されて。やったことないし不安だな……と思いながら、ヤケクソでみんなが聞いたことがない大きな声を出した瞬間、拍手が起こりました。みんなから「すごいじゃん!」っていう承認の拍手を浴びたことで、「自分でも、やれるじゃん!」と思えました。そのことがきっかけで、自分から発言することが楽しいって思えるようになって、周囲が自分の声を聞いてくれるようになったんです。

—勇気をもって言ったことが、みんなに認められたっていう成功体験だったんですね。
それから友達と話すようになって、人と関わることを知って、自然とコミュニケーションの技を学べるようになっていきました。今のように、言ったことを行動にうつすって思えるようになったのも、あの時のきっかけがあったからですね。

—もともとは、広野町でゲストハウスをやりたかったって聞きました。
そうなんです。看護師を目指していた高校2年生のときに、地元のいわき市で東日本大震災を経験して、高校の体育館が避難所になったんです。目の前で被災している人たちを前に、ボランティアに行かなきゃという流れになって、人が亡くなる現場で自分は無力だなと思いました。そんなときに、一番に命を助けられる救急救命士の存在を知り、進路変更の後、東京の救急救命士専門学校へと進学しました。就職を目前に控えた3年生の3月11日、衝動的に福島県南相馬市にあるゲストハウスを訪ねたんですよ。

—どうして、南相馬のゲストハウスを訪れたんですか?
救急救命士になるための勉強をしながら、自分がやりたいことと、職業としての「命への関わり方」のギャップにモヤモヤして悩んでいた時期でした。震災当時の自分の感覚を蘇らせるために、住んでいる日常とは違う被災沿岸部を見に行きたいと、南相馬市を訪れ、ゲストハウスに泊まりました。

そのゲストハウスには世界中から人が訪れていて、知らない人同士でも心地よい空間を共に奏でている姿がありました。その時に「わたしはこれを求めていたんだ。こんな場所がほしかったんだ!」と直感で思いました。「命に関わりたい」とこだわっていた気持ちから、人と人とが自然体でつながり合えることに希望を見出せたというか。心地いいの源は何だろう? という問いが湧いて、いつか自分でもそんな場をつくりたいという夢ができました。

—ゲストハウスを自分の手でつくる夢ができたんですね。
その後、救急救命士として就職することは辞めました。親からは公務員として働いてほしいと懇願され、半年ほど就職浪人になった後、たまたま採用された広野町役場で2015年の12月から嘱託職員として勤務することになりました。

当時、広野町には県外から復興支援で来ていた派遣職員がたくさんいました。任期が限られていたため、仕事の途中で帰る職員さんたちは、口々に「もっと広野町に関わりたいのに……」と言ってくれたんです。けれど、その人たちが気軽に広野町に帰ってこられる場所はなくて。いつかつくりたいゲストハウスには、故郷のように帰りたいと思える場所の役割もあるといいなあと思うようになりました。

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