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勝負の世界を諦めて出会った農村の魅力。食で命を支える仕事に迷いも消えた
佐藤裕美
有限会社 伊豆沼農産 取締役
宮城 登米
震災で気づいた、消費する場所・東京の脆さ
─── 現在は宮城県登米市で、養豚・水稲・果樹の生産~加工~販売を行う伊豆沼農産の取締役を務められています。以前は東京の広告代理店で仕事をしていたとか? 大きな転職でしたね。
はい、私は元々秋田県の生まれです。小学生の時に父の転勤で仙台に移り住みました。大学生の時にうけたグリーンツーリズムやエコツーリズムの講義に興味を持ち、いつかは農業や地域振興に関わることがしたいと憧れていたんです。自然豊かな風景にいると、すごく落ち着くんですよね。
でも、当時は農業経験があるわけではなく、卒業後は、まず東京に出て縁があって内定をいただいた会社で働くことになりました。都会で暮らしてみたいという思いもあったし(笑)。
─── それがなぜ、農業の世界に?
広告代理店の仕事はやりがいもあってとても楽しかったんです。7年半ほど続けて、いろんな経験を積ませてもらいました。ただ農業や農村への気持ちは消えなくて、休暇が取れるたびに近隣の農家さんや、大学時代の恩師が暮らす山形を訪ねたりしてお手伝いをしていました。平日は仕事を頑張って、休日は自然豊かな環境で癒されて、を繰り返していて。もし2011年の東日本大震災が起きなければ、あのまま東京での仕事を続けていたかもしれませんね。
─── 震災で視点が変わったということですか。
地震の後、会社から歩いて家に帰って、一人暗い部屋の中で怖くて。テレビをつけたら地元の被害が映っている……でもすぐには行けないし、両親ともしばらく連絡が取れず、心が沈みました。数日後、街に出てみたら、みんながすごい勢いで食糧や水などを買い占めしていて。その姿にさらに衝撃を受けたんです。
─── あの時はすごかったですね。小麦粉やトイレットペーパーなども無くなって。
「東京って消費する場所で、買うことができなくなるとこんなに脆くなってしまうんだ」ということに改めて気付かされました。一方、学生時代に過ごした農村やこれまで出会った農業を営む方の暮らしを思い出せば、野菜やお米は育てて食べるのが基本。果物もジュースやお酒にしたりしながら、大事に保存していらっしゃった。誰かが困っていればご近所でお裾分けするのが当たり前の生活で、買い占め騒動とは真逆でした……。その時、自分はどう生きていくべきか、もう一度、突き詰めて考えたんです。
─── それで宮城に戻ろうと?
東北に、故郷に近いところに帰って、やっぱり農業や農村に関わる仕事をしたいと思ったんです。とはいえ、農業の経験はほとんどなく、すぐに仕事にできるとは思っていなかったので、個人農家に勤める術はない。調べていると農業法人という経営の形もあると知り、そうした会社で自分ができる仕事はないか探していました。
その時たまたま、伊豆沼農産が、新施設開発や誘客などのプロジェクト企画者を募集していたんです。これなら、私にもできるかもしれない、とピンときたんです。
─── 企画の仕事は広告代理店経験も活かせそうですもんね!
そうなんです。他の農業法人はほとんどが生産部門の募集だったので、伊豆沼農産が企画職を募集していたことはラッキーでした。でも実は、伊豆沼農産のことは以前から知っていて、震災より数年前に訪ねたこともあったんです。美しい農村にあって、農業者が養豚もして加工食品を販売し、料理もするという珍しい経営やスピリットに興味を持っていたんですよね。当時は、就職は考えていなかったけれど、改めて扉を叩いてみたことでうまくご縁がつながりました。
本当に大きな変化でしたが、チャレンジしてみようと、2012年の1月に退職し、登米市に移住しました。