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地域という物語を生きる。Iターン2世のアイデンティティから見えた景色
八巻眞由
(一社)YOMOYAMA COMPANY 代表/「まどい」ママ
宮城 丸森
平時にあった地域若者団体、災害時に活躍
─── 2019年の丸森町の水害の時、眞由さんたちのYOMOYAMA COMPANYが行政、社協と一緒になってボランティアセンター(以下、ボラセン)の運営をされてましたよね?
そうですね、団体を法人化したのが2019年の1月で、その年の10月に台風19号の集中豪雨で阿武隈川が氾濫して全壊から一部損壊まで合わせ家屋被害だけでも1062件、丸森町始まって以来の大災害になりました。
丸森町は、東日本大震災の時には目に見える被害がほとんどなく、私も当時は高校卒業直後だったのでよく分からず、災害発生時に地域がどう動くのかをあまり知らなかったんですよ。なので震災時に活躍していた知人たちをバーッて集めたグループメッセージを作って、こういう状況で私たちどう動いたらいいでしょう? って相談をしたら、これから社協さんのところにリソースが集まるはずだから、社協の災害ボラセンに関わっていくのが地元団体の力が一番活かせるんじゃないかって教えていただいて。
水没していた街中の水が引いた3日目あたりに社協さんに突撃して、私たち町内の若者の団体です。今後、災害ボラセンを立ち上げて運営するお手伝いしたいと思っています、一緒にやれませんかってお話しました。
─── すごく前のように感じるけれど、コロナが始まる直前の秋だったんですよね。
はい。とりあえず、一緒に動けるって許可をいただいて、YOMOYAMAと社協と役場の3者連携でボラセンを立ち上げて、そこから県の方やいろんなNPOの方々も入ってきてくださるという形になりました。後々聞いてみると、ボラセンは基本、社協がやるものだから、地元のNPOがそこまで介入した事例はなかなかない、特殊だったみたいです。
─── 大変だったでしょう。
本当、大変でしたね。受け持った分野は主にコーディネートになるんですけど、立ち上げ時はセンターの建物の掃除から始まって、もう、地元の若者ネットワークを全部かき集めて本当になんでもやっていました。外部ボランティアの受け入れを始めると毎日100人以上が行き来するようになるので、チーム内のデザイナーたちが、場所を使いやすくする動線やサイン、被災した方が手に取りやすいチラシなどをうまく作ってくれたり。「ここはこうしたら、もっと効率的にできる」みたいなこと、名前のない仕事をたくさんやりました。役場や社協さんの負担を、少しは減らせたかなと思います。
─── ボラセンは結果、どのくらいの期間やったんですか?
私たちが一緒に動いたのは、確か2月頃まででしたね。ちょうどコロナが始まって外部ボランティアを受け入れられなくなり。でもまあ奇跡的に、家屋の泥かきや家財運びなど、本当に人足が必要な大変な案件がおおかた収束したところだったので不幸中の幸いではあったんですが。
─── 今は、地域団体としてもう一度着地したみたいな感じですか?
そうですね……実は、色々あって、知らないところに着地した感があります。だから、「地域」っていうものの捉え直しを今まさにしているところで……。うまく話せるかどうか。