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心がハマる場所を求めて、転々とした経験はいつしか肥やしに。

瀬川瑛子

ネビラキカフェ オーナー/ネビラキ 共同代表
岩手 西和賀

強みが欲しい。一歩踏み出し、辿り着いた先は

─── 農水省を辞めて、料理の道に進まれてからはどうでしたか?

料理を通じて食卓と生産現場をつなぎたいと思っていたので、調理師専門学校に通いながら、郷土料理店やアンテナショップ併設のレストランでアルバイトをしていました。そうしたら思った以上に、飲食店のバイトが性に合ってしまって。専門学校を卒業した後は、赤坂にある和食料理店で2年ほど働きました。

その後は、某大手スーパーの食品ブランドをプロデュースしているベンチャー企業に転職して、ものづくりにこだわり続ける小規模な食品メーカーを支えるという趣旨でスタートした新PBの立ち上げに携わりました。バイヤーの皆さんと全国の食品工場を飛び回り、商品の作り手のこだわりや想いを取材する日々。取材・撮影・記事作成、ラベルデザインの調整など、未経験のことを何でもやりました。おかげで、あらゆる無茶振りへの耐性がつきました(笑)。

─── そんな風にバリバリ働く中で、地方移住を考えることもあったのでしょうか?

仕事の年収にもやりがいにも満足はしていたのですが、一方で、このまま東京でがむしゃらに働いて死んでいく人生なんだろうか、というむなしさも時々感じていました。特に3.11以降は、会社がなくなったら何もできない自分の生き方がスカスカなものに感じられ、背筋が寒いような思いもしていました。だからといって、会社に所属して働く以外の、他の生き方も想像がつかない……。

ちょうどその頃、食べもの付き情報誌「東北食べる通信」の高橋博之さんが主宰する、車座座談会に参加する機会があり、花巻の神楽が好きという共通点で盛り上がりました。そのときはそれだけのことと思っていたのですが…。

翌週、私がお世話になっていた神楽の先生との突然の別れがあり、失意のどん底に。さらに一週間後に再び博之さんにお会いしたときに、「いま神楽をやめたらだめですよ。お師匠さんがやってきたことが無駄になってしまう。そんなに神楽が好きなら、花巻に来たらいいじゃないか!」と熱く転職をそそのかされ、帰りの電車の中で花巻行きを決意しました。

─── なんという、タイミングと言葉の力。

もちろん、食べものの裏側を書いて伝えるという食べる通信の仕事にも興味はあったし、農水省、飲食、流通を経験してきたからこそ、生産現場を見てみたいという想いもありました。ただ、食べる通信の事務所が神楽の聖地である花巻じゃなければ、あのタイミングでは決断できなかったかもしれない。運命的でした。

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