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空き家、耕作放棄地、使われなくなってしまったものに手を加え未来につなぐ

中村未來

合同会社でんでんむしカンパニー 代表
宮城 南三陸

ゆっくりでいいから、私なりのやり方でこの町の魅力を伝えていきたい

─── そして始めたのが、藍だったのですか?

はじめは仲間数人と耕作放棄地を再生しようと野菜づくりを始めました。でも、野菜を作っている農家さんはたくさんいますし、素人の私たちが同じものを作ってもあまり意味がないように感じて。せっかくやるなら、町内でまだ誰もやっていないものを作ってみようと思って、候補に挙がったのが藍だったんです。藍なら藍染めの商品を作って販売することもできるし、藍染めの体験教室をすることもできる。藍ならいろいろ広がるんじゃないかと思ったんです。また、南三陸の入谷地区は養蚕で栄えた歴史があり、今も繭細工を作っている人たちがいます。歌津地区には震災後、「さとうみファーム」という羊牧場ができて羊肉生産を始め、羊毛も取れるようになっています。こうした地域の人たちと手を組んで、南三陸の藍をブランド化できたらと、夢はどんどん広がっていきました。

─── まずは自分から南三陸の魅力を発信しようと?

町の再建ももちろん大事ですが、まずは南三陸の魅力を伝えることが、この町の未来につながるんじゃないかって思ったんです。

─── ゲストハウスを始める計画を立てたのも、そういう思いがあったからですか?

そうですね。人口減少が進み、空き家や農地の放棄が増えているけれど、手を加えればまだ十分に使えるんですよ。

空き家を自分たちの手で直して、そこを小さな宿にしたいと思ったんです。

この町のよさを知ってもらうためには、やっぱり何日か滞在してもらうのがいいと思って。以前、石川県の輪島にある小さな宿に泊まったときに、決して豪華ではないけれど、その土地で採れた素材を使った料理と丁寧なおもてなしを受けて心地のよい体験をしました。そういう町の魅力が伝えられ、心地のよい宿を作りたいと思いました。そして、その中からこの町に住みたいと思う人がいたら、いいなと。

─── でも、空き家をリノベーションするのは大変そうですね……。

2015年から改修作業を始めて、結局6年かかりましたね。

─── 6年!? 途中でくじけそうになりませんでしたか?

もともと10年計画でしたので、のんびりやっていました。たくさんの空き家を見て、最終的に決めたのが、払川の集落でした。空き家といっても、家具や暮らしの痕跡がそのまま残っていて、1年目は片付けで終わってしまいました。2年目は土壁を剥がす作業をして……と、少しずつ、少しずつ手を加えていきました。

─── 大学生のときに空き家や廃墟に関心を持ったことが、ここでつながったわけですね。

そうです。私のやりたかったことは、これだったんだって思いました。

一方そのころ、それまで一緒に計画を進めてきた夫との信頼関係が崩れる出来事があり、最終的に離婚を選択しました。なかなか合意に向かわずストレスのかかる離婚調停のなか、自分の怒りの感情を落ち着かせる難しさ、子どもを片親で育てていくことへの不安に押しつぶされそうでした。今はこうして話せますが、その頃は本当に精神的にまいっていましたね……。

幸い、両親もこっちに移住していて、私と娘を支えてくれました。それと、土や川、藍に触れていると、心を落ち着かせることができましたね。

─── 自然に癒やされたと。

この暮らしのいいところは、やっぱり自然なんですよ。どんなことがあっても、自然が優しく包み込んでくれる。もちろん、自然は優しいだけじゃない。厳しさや怖さもあるけれど、それも受け入れながら共に暮らす。そういう暮らし方が好きだし、自分に合っているんですよね。

─── 小さな町ならではの窮屈さはないんですか?

なくはないです。いや、あるな(笑)。とても限定的かと思いますが、離婚した後の1、2年は「なんで我慢できなかったのか」とか「一度結婚したら添い遂げるものだろう」と言う人もいて、さすがに傷つきました。何年間かまっすぐにまじめに地域で生きていけば、いつかは言われなくなる、と自分に言い聞かせながら、がんばって過ごしました。

女性は家の中にいるものという意識が、この町にはまだ根強くあるように感じています。そうでない珍しい人やよそ者には敏感というか、ポジティブに見れば関心を持ってくれていると言えるのかもしれませんが、噂が広まるのがものすごく早くて「見られている」と感じたりすることはあります。そういう私も敏感になっているところはあって。ここは車社会なんですけど、道に誰か知らない人が歩いていると、誰? 誰? ってついじっと見てしまったりしてしまうんですよね(笑)。

でも、そういうことを含めても、総合的に見て、この町が好きなんです。なんだかんだいって居心地がいいんです。

─── では、ここに永住?

それはまだ分かりません。でも、まだやりたいことはたくさんあります。この夏、ようやく宿がオープンしました。今はコロナでなかなか難しい状況ですが、6年かけて完成させた宿なので、のんびりやっていこうかと。宿と並行して、宿泊者がいない時間に、この場所を地元の人たちに使ってもらいたいなと思っています。

─── 会社名の「でんでんむしカンパニー」というのは?

まさに、でんでんむしの“ゆっくりとした歩み”を表しています。他にも意味があって、でんでんむしは藍の葉が好きで食べるんですよ。つまり、私からすると敵。でも、ここでの暮らしは自然と共に生きること。敵とも共存しながら生きていくということなんです。その象徴として「でんでんむし」なんです。

それと、でんでんの“でん”を“伝える”という意味に捉え、この町のよさや活動を伝えていきたいという思いを込めてつけました。

─── 3つの意味があるんですね。深いなぁ〜。最後に、今一番大切にしたいことは何ですか?

暮らしを大切にしたいです。仕事は仕事、暮らしは暮らしと分けるのではなく、自然と向き合いながら、子育てをし、自分の手で作ったものを活かして暮らしていきたい。4歳になる娘は、藍の葉っぱと茎を分ける作業や水やりを喜んでやってくれるんです。とても助かっていますよ。 大阪で仕事をしていたときは、こんな暮らし方があるなんて思ってもみなかった。今振り返ると、あの頃の私は本当に疲れていたな、と。都会の暮らしや仕事に疲れている人がいたら、こんな暮らし方もあるよ、って伝えたいですね。

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中村未來
1987年生まれ、東京都府中市出身。鳥取の大学で建築を学び、大阪の設計事務所に就職。震災を機に南三陸に移住し、南三陸町観光協会で3年半勤めたのち、本格的に藍に打ち込み、栽培から商品企画・販売、ワークショップなどを開催。2017年3月に合同会社「でんでんむしカンパニー」を設立。空き家をリノベーションし、「みんなでつくった小さな宿 のん」を2021年8月にオープン。4歳の女の子のお母さん。

でんでんむしカンパニー公式HP dendenmushi.co.jp
Facebook:https://www.facebook.com/kurasu.dendenmushi

インタビュー日 2021年7月26日
取材・文 石渡真由美
写真 佐竹歩美

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