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岩手に引き寄せられる絶妙なタイミング、コーディネーターは天職かも?

高田真理子

いわて連携復興センター 地域コーディネーター
岩手 花巻

気づけば、いろんな人・モノをつないでいくコーディネーターになっていた

─── 大槌町ではどんなことをしていたんですか?

大槌町の仮設住宅で地域の人たちを100人規模で緊急雇用して支援員さんとして活動していただくという枠組みがあって。その事務局サポートでした。

私が入った頃は、仕組みづくり自体は大体終わっていたけれど、外から急にたくさん人が入ってきて、やれICTだパソコン研修だ、クラウド使わなければと色々言われて、地域の支援員さんたちの間に不信感が生まれ始めていた時期だったように思います。

そんな中で、信頼関係を作らなきゃと必死でしたね。正直、このころの頃のことはちょっと記憶が薄い部分もあって……。

─── 目の前の問題を、いる人で解決していくしかないというか?

そうです。基本は事務作業なんですが、ホームページを作ろうとなったらどういう風に作るか一緒に企画したり、コミュニケーションのためにちょっとした新聞を発行したり。それも、最初は全員よくわからないので、まず研修をするところからスタートなんですよ。

自治会のみなさんが書く助成金申請の書き方の相談に乗ったり、助成に該当する費目を確認したり。みなさんも助成金の申請は初めてですが、私にも初めてのことばかり……。でも、事務局としてやるとなったことは、仕事の流れづくりから私が担当したり。そんなこんなで、大槌町の仕事を1年9か月で終え、次は大船渡市に行きました。

─── 大船渡市に転勤、ですか?

次のステップが用意されていたというか(笑)。大船渡では、市民活動支援センターの立ち上げをして、その後1年間くらい事務局長をしていました。

この頃には、もう、東京に戻るという気持ちはなくなっていましたね。大船渡での仕事でやっと、ああ、NPOってこういうことなのかとか、NPOをサポートする中間支援ってこういう役割なのかとか。そういうことを先輩方がずっとやってきたっていうのがわかるようになったんですよ。コーディネーターですよね。人と人をつなぐとか、人と情報をつなぐもそうだし、いろんなモノとか人とかをつなぎ合わせていく。

─── 真理子さんが今在籍しているいわて連携復興センター(いわて連復)がまさに中間支援組織ですが、これは転職だったんですか?

いえ、それが、間にもう一つ挟まっていまして……。実は、大船渡で働いていた頃に彼がいて。場所は青森の下北半島なんですが、私、仕事を辞めてそこに嫁いだんですよ。すぐに子どもを授かって花巻で里帰り出産したんですけど、子どもと一緒に嫁ぎ先に戻って、ここで育てるのかって思うと、そこでの暮らしに限界を迎えてしまって……。不便、というのもありましたけれど、私がおかしいのかなあって思うくらい、異国の地に来たみたいな気持ちでした。価値観が似ている人に会えなかったのが大きかった。

それで、広人さんに連絡したんです。帰りたいんです、でも、子どもがいるから前みたいな働き方は厳しいんですと。そしたらなんと、すごいタイミングで北上市のいわて連復のコーディネーターが一人辞めるからちょうどいいんじゃないって。そこで、いわて連復の代表の葛巻徹さんと話をして、2017年に家族で岩手に戻って、実家がある花巻市に暮らすことにしたんです。葛巻さんには花巻でもお世話になっていて。

─── また、すごいタイミングですね、真理子さんはコーディネーターやりなさいっていう天の声ですかね、もしや天職?

どうなんでしょう(笑)。いわて連復の存在はもちろん知っていました。言ってみれば、NPO向けお節介集団ですね。今の肩書きは地域コーディネーターで、大船渡市と陸前高田市を担当しています(インタビュー時)。こちらから出向いて、最近どうですか? っていろんなコミュニケーションをとりながら、地域の課題・困りごとや、NPOさんがやりたいことに対して、いろんな人や資源をつなぎ合わせていく仕事をしています。そのほかに、NPO向けの講座を企画したり、交流会を行ったり、組織での場作りもしたり。

─── 最近、地元花巻でもまた別の活動していると聞きましたよ、JCやってるんですって?

去年の1月に花巻青年会議所(JC)にまんまと入会しまして(笑)。誘われても子どももいるし今は無理と言っていたところ、同級生から「お前のタイミングもあるけど、こっちのタイミングもあるからね」みたいなこと言われたんですよ。JCって1年で理事長や委員会の組織が全部変わるんですよね。今、入らなかったら、今いる人たちと一緒に活動できないよ、って。

─── つまり、やるなら今期のメンバーで一緒にやろうよと?

そうなんですよ。なるほどって思って。JCも地域によってカラーがあるそうで、もちろん若手経営者の方が多いですが、花巻JCは花巻のまちづくりに関心がある人が入るという感じで間口が広いんです。

─── なるほどー。真理子さん、この先、花巻のまちづくりでも活動していくんですね。

花巻JCは女性会員が増えたんですよ。今、全体で92人いるんですけど、そのうちの10人くらいが女性。これまでは4〜5人くらいだったのを考えたらすごいことなんですが、運営サイドや意思決定機関には女性が圧倒的に少ないんです。

やはり家庭を持っている、お子さんがいるっていう状況で、夜の会合に参加しづらいですよね。でもそれって、卵が先か鶏が先か、みたいな話じゃないですか。女性が増えていけば、仕組みや制度が変わる部分もあるかもしれない。

去年は入ったばっかりの一会員で、どういう仕組みで動いているのかよくわかってなかったんですが、今年度の委員会の委員長をやらないかとお誘いがあった時、「頑張ります」って受けさせていただきました。委員長は理事でもあるので、今年は理事会に出席し、意見を述べられるんです。実際に理事会に出席してみると、あ、この場に女性の意見が増えると変わるかも、みたいな期待感があります。

─── Uターンから10年、真理子さんが花巻に関わっていく大きな一歩ですね。

私も地元なので花巻で何かできたらっていう気持ちは持っていたんですが、ずっと沿岸にいたり、北上市で働いて寝に帰るだけだったり。岩手にUターンしたのにあまりにもこれまで花巻にいなさすぎて。だんだん復興支援活動が落ち着いてきたところで、地元でJC入りなよって誘ってもらえて。これはきっとチャンスですよね(笑)。JCの活動って、花巻で育つ子どもの選択肢を広げたり、価値観をつくっていく過程にもすごく重要だと感じていて。出来るだけ子どもも一緒に出て、わが子がいろんな人たちと関われる環境づくりをしているという想いもあります。JC って、40歳での卒業が決まっているんですよ。だからこそ、このタイミングでできることにチャレンジしてみようと思っています。

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高田真理子
高田(新田)真理子
1984年、岩手県花巻市出身。高校卒業まで花巻市で過ごし、憧れの東京へ。大学卒業後、就職した不動産会社で長時間拘束の元で働きながらも、東京生活を満喫。そんな社会人3年目に、東日本大震災が起こる。翌2012年、ひょんな出会いから、帰るはずのなかった岩手へUターン。岩手沿岸で復興支援活動に携わっていた北上市のいわてNPO―NETサポートのスタッフとして、大槌町、大船渡市で活動する。結婚・出産を経て、2017年よりいわて連携復興センターに所属し、地域コーディネーターとして活動。2021年、地元の花巻青年会議所に入会。花巻青年会議所65周年特別委員会の委員長として、2022年度理事となる。NPO法人花巻市民活動支援センター理事。5歳の男の子のお母さん。今のところ旧姓の「高田」で仕事をしてきたが、住まいのある花巻では「新田」を使っている。

インタビュー日 2022年2月25日
取材・文 塩本美紀
写真 足利文香

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