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津波のあった故郷で、海と暮らす子どもたちを育てていきます

天澤寛子

NPO法人浜わらす事務局
宮城・気仙沼

あのころの私に「わかってねえべ」って言ってやりたい

─── 寛子さんが今の活動を始めたのはいつ頃? どういう経緯があったんですか?
関わるようになったのは、2015年からですね。それまで、下の子が少し手を離れたころから、気仙沼市内で時間の融通がきく仕事を見つけて働いていたんです。子育て中にはちょうどいいかなと。でも職場でのモヤモヤが溜まった時に……自分は結局何をやりたいんだろうなって。震災の時から、私って何も役にたってないなって思ったりして。震災当時、みんな泥かきとかボランティアしてたけど、私、妊娠もしてたし何もできなかった。私、人のために役に立つことって何かあるのかなって色々考えたりしていて。

 その頃、シャンティ国際ボランティア会で行ってきた地元の子どもたち対象のプロジェクトを、地元に引き継ぎたいということで夫の笠原を代表にした新しい法人「特定非営利活動法人 浜わらす」が立ち上がりました。

─── なるほど、モヤモヤのタイミングで、「浜わらす」の法人化があったんですね
プロジェクト自体はシャンティの元で2013年に始まっていたので、私もそばで見てきていました。

2015年の夏、新しい法人を地元で回していくためにグリーンツーリズムを取り入れようとしていました。新しいスタッフが必要だけれど人がいない、という話が出た時に、「私、やろうかなあ」って言ったんですよね。

─── パートナーの笠原さんが代表を務めるNPOのスタッフに、ということ?
そうです。中間支援組織の人に事務作業をどういう風に進めていくかなどいろいろ相談しつつ、私何からやればいいんですかね、みたいなスタートでした。

仕事に入る時にシャンティの仲のいい女性スタッフに「でも、笠原くんと一緒に働くって大丈夫?」って言われて。最初はピンとこなかったんですけれど……やっぱり、家に帰っても境目がなくなっちゃうんですよね、それは結構しんどかった。その頃はずっと衝突していましたね。しかもNPOってどこから仕事でどこから違うかわからなくなる。それを家庭に持ち込むのをその子は心配してくれたんだなあって、後から思うと。

─── それが、2015〜16年ごろなんですね。WEのグラスルーツ・アカデミー東北に最初に参加してくれたのが2017年秋でしたっけ?
ですね。「浜わらす」をしばらくやってきて、悩んでいた部分があったときかも。なんか、自分が何をやっているのか理解できていないとき。口では「子どもたちのための活動を」と言っていたけれど、今思えば、その時の自分に、「わかってねえべ」って言ってやりたい。

─── 「わかってねえべ」はどんな部分でしょう、仕事の捉え方が変わったように聞こえます。何かきっかけがあったんですか? 
ひとつは、グラスルーツ・アカデミーのリーダー研修で、2018年2月のロサンゼルスに行ったこと。いろんな人たちに会って、もっと自分を出していいんだな、思うことを出していってもいいなって思えるようになりました。

例えば、ロスに行く前にモヤモヤしていたことの一つは、仕事で「奥さん」って呼ばれることだったんですよね。自分が後付けされてる感がすごくて、悔しくて。なんか結局、「あー、笠原さんの奥さんね」って言われちゃう。会議の出席者名簿に「奥さん」って字面で書かれていたのをみたときはショックだった。ロスから帰ってきて、仕事では旧姓の天澤を名乗ろうってふんぎりがつきました。それは、すごくよかった。周りからは「何かあったの!?」って心配されましたが。

─── 仕事上の名前を持ったっていうことですか。 
そうです。今は、家の中のバランスもとてもよくなりました。というのも、夫が「浜わらす」の仕事を2年くらい前に私に託して、漁師になったんですよ。今も、決定権は代表にあるからもちろん相談したりはしますが。夫は夫で、新しい仕事にやりがいを感じている。

私は私で、体験プログラムなどはそれ以前も自分で企画して実施していたけれど、ここ2年くらいは、団体の資金管理や事業計画もやるようになりました。帳簿はもちろん、決算書つくったり、資金集めも。自然体験系の資格も取りました。

写真:NPO法人浜わらす

─── 団体を運営する側になったんですね。
ロスの研修に行った頃はまだお金周りのことをやってなかったから、やっぱり今になって思うと「わかってねえべ」だったなと。質問にしても、今の状態で行ったら違うこと聞くだろうなって。そんなことを最近思い出していました。

今は、見る景色がやっぱ違う。事業を回していこうとか、団体とか会社とかを維持していくためには、なんていうか、前は雇われ魂だったけど、今はお金を払う側だから。ある種シビアなところもある。その変化は私の中で大きいかなと思います。

─── 震災から10年、いろんなことがありましたね。
最近、自分たちの家が建って引っ越しました。やっと、落ち着いて考える場所ができた。10年前、とりあえず実家に仮住まいして仕事が落ち着いたら家も欲しいねと話していた段階で、震災でポーンと行っちゃったから。仕事はないし、どうする、みたいな感じ。そこから始めて、やっと、家が建てられた。やっと、時計が動き始めたというか。

そして、10年前シャンティのプレハブの事務所が開かれた場所に、今、私がいるっていう。自分にはやっぱり海が大事なんですよ。これからも地元の人たちと一緒に、海と暮らす子どもたちを育てていきます。

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天澤寛子
2015年より特定非営利活動法人浜わらす事務局。「はまわらす」は、気仙沼・東北の方言で「浜」の「わらす=子ども」を意味する。1979年生まれ、宮城県気仙沼市出身・在住。市内の高校卒業後、仙台でTV制作会社AD、ショップ店員、歯科助手、コンピューターの会社の営業事務、介護福祉系などさまざまな仕事を経験したのち、親子3人で気仙沼にUターン。

●(特非)浜わらす http://hamawarasu.org
●(公社)シャンティ国際ボランティア会 https://sva.or.jp

インタビュー日 2020年10月29日
ライター 塩本美紀
写真(注記以外) 古里裕美

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