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市職員からパン職人に転身  自分の作ったパンで喜ぶ人の顔を見るのが嬉しい

水野いずみ

パン工房 いずみぱん
宮城・気仙沼

パンを作っているときは、悲しみもしんどさも忘れて、無心になれた

息子がまだ1歳になる前、近所の児童館で、ポリ袋とフライパンだけで作るパン教室というのがあって、たまたま参加してみたんです。“ポリパン”は、小麦粉と水、それに塩と砂糖と酵母をポリ袋に入れて、上下に振るだけ。あとはフライパンで焼けば、完成!というとっても簡単なやり方で、パンができてしまうんです。カセットコンロさえあればパンが作れると、災害直後も実際に作られていたそうです。

実は私、それまでパンを作ったことが一度もなく、「酵母って何?」と聞いてしまうくらいの人だったんです。そんな私でも簡単に作れてしまう。しかも、めちゃくちゃおいしい! その頃、私は終わりのないワンオペ育児の日々で、達成することのないタスクがあちこちに散らばっている状態でした。そんな中で、自分でもパンが焼けた! 完成した! という達成感を得られたことが、とても嬉しかった。

そこからパン作りに興味を持ち、今度は手こねのパン教室に通い、さらに本格的に学びたいと1年間の通信教育を受講してしまうのめり込みぶりでして。パン作りをしているときは、震災の深い悲しみも、日々の育児のしんどさも忘れて、無心になれたんですね。通信教育では課題が多く、作るたびに家族だけでは食べきれないほどのパンができたので、友人達にお裾分けしていました。すると、みんなが「いずみさんの焼くパンはおいしい」「これ、絶対に売れるよ!」と言ってくれて、ヘンに自信を持っちゃって(笑)

─── 仕事にしてみようと思ったきっかけは何だったんですか?

“ポリパン”つながりの友人が、南三陸町にあるパン・菓子のシェア工房でスタッフとして働いていて、そこを利用してみないかと誘われたのがきっかけです。その工房は、パンやお菓子を作って売ってみたいけれど、資金面や家庭の事情などで自分で始めるにはハードルの高さを感じている人達が登録をすると、時間決めで工房が使えるシステムで、いろいろな人が利用していました。

付き合いのある子育て支援施設で販売する仕事を得て、シェア工房で1年半ほど、週1〜2回、パンを作って販売していました。それから、イベントなどにも出店することになりました。施設では顔馴染みの人も多く、友達にパンをお裾分けしていたときと気持ち的にはあまり変わらなかったけど、イベントでは、知らない人に販売するというプレッシャーがありましたね。でも、一般のお客様からも「おいしい!」という声をたくさんいただき、「もしかすると、これは自分でやっていけるかもしれない」と手応えを感じるようになりました。

─── お客様の声は、励ましになりますね。

私は自分のパン作りのこだわりとして、「子どもに食べさせたいパン」を目指しています。遅くに子どもを授かったこともあって、とにかく健康に育って欲しいと、食べ物は添加物のないものを選ぶなど、かなり気を遣っていたんです。そんな自分をちょっと神経質かなと思っていたのですが、まわりのママ達に聞いてみると、結構みんな食に気を遣っていることが分かって。それならお母さん達が「子どもに食べさせたいと思うパン」を作ろうと、国産小麦を使用した、添加物のないパンを作ることにしたんです。気仙沼にはまだそういうパンを売っているお店が少なくて、これはチャンスかも! と思い、開業を目指しました。

─── そうでしたか。そこからは順調でした?

ところが、いざお店を始めようとすると、家族が大反対。夫は、育児は母親がするものと思っているところがありまして。南三陸町のシェア工房に通っていたときはいつでもやめられると思っていたのか、多少文句は言いつつも、反対はしなかったんです。ところが、自分の店を持つとなると、話は別。子どもの面倒は誰がみる? と反対されました。

母からも「子どもがまだ小さいのに仕事をするなんて」と反対されました。母に限らず、この辺りの人達は、家事と子育ては全面的に女の人が見るのが当たり前と思っているんですね。母親が毎日料理を作っても何も言われないのに、たまにダンナさんが料理をすると、「ダンナさんが料理を作ってくれるなんて、すごいね!」とチヤホヤされる。なんだかなぁ〜と思いつつも、それが普通みたいな風土があって……。でも、母の知り合いが、私の作ったパンを食べて、「このパン、本当においしいわ!」と絶賛してくれて、母も納得してくれたみたいで、最終的には「体に気をつけてやりなさいよ」と言ってくれたんです。

─── 周囲の声が、お母さんの理解を進めてくれたんですね。ダンナさんは変わらず反対ですか?

それが、最近ちょっと変化がありまして。話が前後してしまうのですが、実は2年前に、夫が突然、市職員を辞めて、フリーで仕事を始めまして……。家で仕事ができるから、ずっと家にいるんですよ。シェア工房に通っていた頃は、往復にも時間がかかっていて、その間子どもを見てもらっていたのですが、その頃ってまだ子どもが小さくて、いろいろ大変だったと思うんですよね。それで、私が家を空けることに反対していたんだと思うんです。今は子どもも小学生になり、だいぶ手がかからなくなってきたので、はじめは店を持つことに反対していたのですが、わりと協力的で、配達の手伝いをしてくれています。外に出ることが気分転換になっているみたいですし。

─── 今はどのようなスタイルでお仕事をされているんですか?

いろいろなご縁があって、乳幼児の遊び場として開放している民間の子ども子育て支援拠点「aso-bon(あそぼん)」の離れにあるプレハブの工房を借りることができ、そこでパン作りをしながら販売をしたり、配達をしたりしています。創業資金として、自分の貯金と補助金を活用し、オーブンや発酵器、ミキサーなどの本格的なパン作りの道具を一式揃えました。おかげさまで、今はたくさんの施設から注文をいただけるようになりました。

─── パン工房を開業されたんですね!

ところが、ここで新たな悩みが出てきまして……。注文が多くなり、工房にいる時間が増えて、「こんなに忙しくなるなって、話が違うじゃないか」と夫が言い出しまして。それなのに、利益があまり出ていないことを指摘するようになったんです。確かに、夫の言うとおりで、ビジネスの観点から見ると、ツメが甘い。利益をきちんと出すためには、価格を上げるか、原価を抑えるかの二択になってしまうけれど、国産小麦にこだわるとどうしても原価がかかるし、でもそこを妥協してしまうと、自分のパンではなくなってしまうし。価格を上げることよりも、食べてもらう人に喜んでもらいたいという気持ちの方が強くて。一人で作るには、量的にもう限界に来ているのですが、人を雇うと人件費がかかってくるから、なかなか前に進めなくて。

そんなとき、出店したイベントでもう一軒出店していたパン屋さんに、他意もなく「いずみぱんさんは、プレハブでパンを作っているんですよね」と言われて。その言葉の中に、趣味の範囲で遊びでやっているというニュアンスを受け取ってしまった自分がいたんです。きちんとお店を構えていることと、プレハブでパンを作って小規模に販売していることの間に大きな隔たりがあるように感じてしまって。店を持ちたいと思っているのに、踏み込めないでいる自分には、やっぱり覚悟がないのかなと思ってしまったんですよね。そんなわけで、今、私は迷走中なんです。

でも、一つだけハッキリ言えるのは、どんな形であっても、この仕事を続けていきたい。そのためのベストをこれからゆっくり考えていこうと思います。

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水野いずみ
水野いずみ
1977年、岩手県陸前高田市生まれ。富山の大学で考古学を学んだ後、帰省。陸前高田市の市職員として、教育委員会、博物館の学芸員、財務課を経験。37歳での出産を機に仕事を退職。その後、子育て中に、ポリ袋とフライパンで作る“ポリパン”に出会い、パン作りの虜になる。さらに、本格的に学んだ後、宮城県南三陸町で特定非営利活動法人ウィメンズアイが運営しているシェア工房「パン・菓子工房oui」を借りながら、パンの販売を始める。2019年に独立し、気仙沼でパン工房「いずみぱん」を開業。6歳男児の母。


●いずみぱん https://izumipain.base.shop/

インタビュー日 2021年5月2日
取材・構成・ライター 石渡真由美
写真 志田ももこ

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